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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)10876号 判決

原告

ベトナム航空会社

日本における右代表者

小川正路

右訴訟代理人

森俊夫

渡辺昭

被告

三菱地所株式会社

右代表者

中田乙一

右訴訟代理人

河村貢

河村卓哉

豊泉貫太郎

主文

一  本件訴えを却下する。

二  訴訟費用は、小川正路の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金八七四万七六〇七円及びこれに対する昭和五〇年六月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  本案前の答弁

主文と同旨

2  本案の答弁

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は、原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、ベトナム共和国パン・デイン・ブン街二七Bに本店を有し、小川正路(以下「小川」という。)を日本における代表者として定め、東京都千代田区有楽町一丁目五番地に日本における営業所を設置した(いずれも登記経由済み)外国会社で、ベトナム共和国国内及び同国と外国間の旅客、貨物等の航空機による輸送を業としていた。

2  原告は、被告から、昭和四九年八月八日保証金九二七万二一二〇円で別紙物件目録(一)記載の建物(以下「本件(一)の建物」という。)を、昭和五〇年三月一五日保証金三七万〇八〇〇円で同目録(二)記載の建物(以下「本件(二)の建物」という。)を、それぞれ賃借してその引渡しを受け、被告に対し、各契約日に各保証金を預託した。

3  各保証金は、いずれも右各賃貸借契約に基づく賃借人の債務を担保するもので、賃貸人は、賃借人が右各契約に基づく債務を履行しないときは、催告なしに右債務に充当することができる。右各契約が終了して賃貸建物の明渡しが済んだときは、賃借人に返還する約定の下に預託されたものである。

4  原告と被告は、昭和五〇年五月八日右各賃貸借契約を合意解除し、原告は、被告に対し、同月二四日本件(一)の建物を、同年六月一〇日同(二)の建物をそれぞれ明け渡した。

5  原告が被告に対し昭和五〇年六月一〇日までに右各賃貸借契約に基づき負担していた債務は、次のとおり合計金八九万五三一三円である。

(一) 本件(一)の建物について

未払賃料

{同年五月分 金五四万六六〇〇円

同年六月分 金二七万三三〇〇円

(二) 本件(二)の建物について

未払賃料

{同年五月分 金一万六六〇〇円

同年六月分 金五五三三円

未払電気代

{同年三月分 金一万七二八〇円

同年四月分 金一万八一八〇円

同年五月分 金一万五一二〇円

同年六月分 金二七〇〇円

6  よつて、原告は、被告に対し、各保証金額から右5の債務を受働債権として相殺した残額合計金八七四万七六〇七円及びこれに対する本件(一)、(二)の各建物の明渡しの済んだ後である同年六月一一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の本案前の答弁

1  原告の法人格の消滅

(一) 原告は、ベトナム共和国(以下「旧南ベトナム」という。)法に基づき同国の政府出資により設立され、日本においても外国会社の登記を有していた会社であつたが、昭和五〇年四月三〇日ころ旧南ベトナム政権(以下「旧政権」という。)が崩壊消滅し、南ベトナム臨時革命政府(後に南ベトナム革命政府、以下「新政権」という。)が旧政権の支配地域についても政権を掌握し、同日旧政権下の法律及び制度を全て廃止するという統治宣言をしたことにより、原告の存在の基礎である法律も消滅し、その結果原告の法人格は、消滅した。

(二) さらに新政権は、同年五月二日布告第三号として旧政権のすべての官公庁、公共機関、運輸などの各組織などをその文書、書類、財産、技術的資産などとともに接収し、今後新政権の革命行政組織の管理下に置き、同組織から権限を任された者以外の者は、右官公庁、運輸などの各組織などの管理及びその文書、財産の管理にあたることができない旨布告されたので、在外資産も含めた原告の資産は、新政権に接収され、新政権及び昭和五一年七月ころ新政権を承継して成立したベトナム社会主義共和国(以下「統一ベトナム」という。)が承継管理すべきものであり、また統一ベトナムは、社会主義国家として企業の国有化を推進しているのであるから、原告の財産等の清算の目的の範囲内で、営利事業を目的とする私法上の社団である原告の法人格が存続することが認められる余地はない。

(三) 日本国政府は、昭和五〇年五月七日新政権を、その後統一ベトナムを適法な政府ないし国家として承認したので、日本国の裁判所は、新政権及び統一ベトナムによる旧政権下の法律の廃止及び諸法令布告を有効なものと認めざるを得ない。

(四) したがつて、原告は、本件訴えについて当事者能力を有しない。

2  小川の代表権の消滅

(かりに原告の法人格が存続しているとしても)

(一) 右1(二)の布告により、小川の原告を代表する権限は、消滅した。

(二) 右1(三)と同じ。

(三) したがつて、小川は、本件訴えについて適法な原告の代表権を有しない。

三  被告の本案前の主張に対する原告の答弁

被告の本案前の主張1、2は、いずれも争う。

原告は、旧政権消滅新政権成立に伴なう残務処理のための権限あるいは新政権及び統一ベトナムが法律を制定するなどして原告の日本における資産等の管理をなしうる状態になるまで事務管理者として右資産等の管理を継続する権限を有しており、その限度で法人格も存続している。

四  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。ただし、前記二1のとおり、原告は、既に消滅している。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実のうち、建物明渡し後の返還の約定部分は否認し、その余は認める。賃貸人において賃借人から支払を受けるべきものがあるときは、これを差引きの上返還する旨の約定であつた。

4  同4の事実は認める。ただし、合意解除がなされたのは、口頭で昭和五〇年四月三〇日、書面上では同年五月二日であつた。

5  同5の事実のうち、本件(二)の建物の同年六月分未払電気代及び債務合計額は、否認し、その余は認める。

五  抗弁

本件各保証金合計額から差し引かれるべき、原告の各賃貸借契約に基づく債務としては、原告主張のもの(ただし本件(二)の建物の同年六月分の未払電気代は除く。)のほか、未払冷暖房料(昭和五〇年五月一日、同月二日分)金二七六〇円及び本件(一)、(二)の各建物の原状復旧工事費金二三二万三〇〇〇円があつたので、被告の保管する保証金合計額は、金六四二万四五四七円であつたところ、被告は、昭和五二年七月一九日東京法務局に同額の金員を民法四九四条に基づき供託した。

六  抗弁に対する認否

抗弁事実のうち、未払冷暖房料は認め、原状復旧工事費は否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

一被告の本案前の答弁1について

被告は、原告の法人格が消滅した結果、原告は、本件訴えについて当事者能力を有しない旨争うので、まずこの点について判断する。

1  〈証拠〉によれば以下の事実が認められ、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告は、旧南ベトナム法をその設立の準拠法とし、その資本金の約八割を旧政権が出資して、昭和二六年一〇月八日に設立された会社であり、旧南ベトナム国内(昭和四六年九月三〇日以降は、同国サイゴン市パン・デイン・プン街二七B)に本店を有し、同国内並びに同国及び外国との間の旅客、貨物等の航空機による運送を主たる業務としていた。原告は、香港、シンガポール、バンコク等旧南ベトナム周辺諸国に支店を有し、日本においても昭和四三年六月一日東京都千代田区有楽町一丁目五番地有楽町ビルと大阪府大阪市北区中之島二丁目二二番地ニューアサヒビルの二か所に営業所を設置し、日本における代表者(昭和四六年九月三〇日以降は小川)を定め、昭和四三年六月二一日外国会社の登記(大阪営業所設置の登記は同年七月二〇日)を経由し、営業活動をしていたが、その業務上の命令をほとんど本店から直接受けていた。

(二)  昭和五〇年四月三〇日ころ、旧政権が解放軍の攻勢に対し無条件降伏を宣言して崩壊消滅し、新政権(当初南ベトナム臨時革命政府と称していたが、同年五月一日ころから南ベトナム革命政府と称するようになつた。)が旧政権大統領から全権委譲を受け、旧政権の支配地域を軍事的に制圧して、同地域についての政権を掌握し、同年四月三〇日ころベトナム統治のための一〇項目政策を発表し、その中で、旧政権下の旧制度と古い法律を廃止し、旧政権下の全ての財産を新政権が管理する旨宣言した。

(三)  そして新政権外務省は、同日ころ、国内外にある不動産、動産、貨弊、運送手段など旧政権の所有していた財産は、国際法によつて保証された革命政府の財産相続権に基づき、今後南ベトナム人民の所属になり、新政権によつて管理される旨の声明を発表する一方、同年五月一日ころには、新政権下に発足した「サイゴン・ジアデイン市軍事管理委員会」名で布告第三号(米国と旧政権の官公庁、公共機関、銀行などの復旧と管理について)を発表し、その中で、米国及び旧政権側のすべての官公庁、公共機関、銀行、商業組織、運輸等の各組織、倉庫などをその文書、書類、財産、技術的資産などとともに接収し、今後新政権の革命行政組織の管理下に置き、同組織から権限を任された者以外は、右官公庁、銀行などの管理及びその文書、財産の管理に当たることはできない旨布告し、旧政権側の企業、事務所、資産などは、国内国外にあるものを問わず、新政権が接収管理し、国有化していくという政策の方向を示した。

(四)  日本国政府は、新政権設立当初その実効的支配が行われているかどうか確認するために承認の決定を控えていたが、周辺諸国の新政権承認が相次いだこともあつて、同月七日新政権の承認を閣議で了解し、正式に発表して新政権にも通告したところ、新政権も同月九日日本国政府の承認に謝意を表した。

(五)  原告は、旧政権崩壊直後から旧南ベトナム国内外の運航等営業活動を停止し、その機能を停止したが、原告の所有していたもので旧南ベトナム国外にあつた航空機については、同機がベトナム人民の財産として同人民に帰属すべきものである旨主張する新政権と原告の債権者との間で同機の扱いをめぐり裁判ざたの紛争が生じたりしている。

2(一) 右1認定の事実に基づき、原告の法人格の消滅について判断するに、原告は、旧南ベトナム法に基づき設立された法人で、かつ、その経営ないし統轄上の本拠地を本店の所在する旧南ベトナムに置くものであつたところ、旧南ベトナム法は、日本国政府の承認した新政権により全て廃止されたものであるから、原告は、その存立の基礎及び活動の根拠を失ない、その法人格は消滅したものと解すべきである。

(二) これに対し、原告は、新政権及びこれを承継した統一ベトナムによる管理がなされるまで、残務処理のためあるいは事務管理者として、原告の日本にある財産等の管理権を有しており、その限度で法人格も存続している旨主張し、〈証拠〉によれば、原告の右1(五)の営業活動停止後も原告の北部地区支配人の指示等で小川、右寺畠らが本件(一)(二)の各建物の各賃貸借契約の合意解除等の原告日本支店の残務整理にあたつていたことが認められる。

しかし、原告の日本支店の財産、債権債務等の管理関係等については、当裁判所が日本国外務省及び統一ベトナム日本大使館にそれぞれ嘱託した各調査の結果によれば、統一ベトナム及び同国日本大使館の回答が得られず、必ずしも明らかではないが、前記1認定の各事実よりすれば、新政権及びこれを承継して昭和五一年七月三日成立した統一ベトナム(この承継成立の事実は弁論の全趣旨により認められる。)が、旧政権による資本主義体制下の旧南ベトナムでその大半を旧政権による出資にたよつて設立された私法上の法人である原告又は原告の日本支店(の関係者)に、原告の日本における財産、債権債務等の管理権を与えるような立法その他行政上の処置を行つたとは到底推認することはできないから、原告の右主張を認めることはできない。

二結論

したがつて、原告の法人格は既に消滅し、原告は当事者能力を欠くものであるから、本件訴えは、不適法としてこれを却下することとし、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第九九条、第九八条第二項に準じて原告の法定代理人(日本における代表者)として本件訴えを提起した小川正路にこれを全部負担させることとし、主文のとおり判決する。

(町田顕 遠山和光 林道晴)

物件目録

東京都千代田区有楽町一丁目一〇番一号

鉄骨鉄筋コンクリート造地下五階付一一階建

有楽町ビルディング

(一) 右建物のうち、八階809.810区床面積178.31平方メートル

(二) 右建物のうち、地下四階四一六区―一床面積6.13平方メートル

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